2022/10/6
10月5日(水)、滋賀県政150周年記念事業の一環である「公文書館所蔵資料活用公開授業」が本校で開講されました。1年9組歴史総合の時間(担当:山本茂雄教諭)に、「彦根城と膳所城の近代」というテーマで、公文書資料を読み解きながら「文化財」保存の在り方や意義について、学びを深めました。
高等学校学習指導要領では、歴史を学習する際に「資料」を積極的に活用することが重視されており、また、滋賀県公文書等の管理に関する条例においても、資料の提供等により、特定歴史公文書等の「学校教育における活用」を図ることが規定されています。今回の公開授業は、滋賀県政150周年記念事業の一環として、👉滋賀県立公文書館との連携による特定歴史公文書等を活用する内容で実施されたものです。
「滋賀県政150周年」ということで、滋賀県の歴史について、少し触れておきます。現在の滋賀県が存在する地域はその地理的特性から京都や大阪、奈良への物資や人材の供給源や中継地、また近畿地方(畿内)と東国・北国・西国とを結ぶ要衝として発展してきた歴史があります。弥生時代から多くの渡来人が入植し、代々、都に近かったために政治の中心地であると同時に、早い時期から開発が進められてきた経済の中心地でもありました。
近世に入り、江戸幕府を開いた徳川家康は西国への抑えとして、関ヶ原に近い彦根に井伊氏を入封させ、北部の大部分が彦根藩の領土となりました。当時、この地域の大藩は彦根藩のみで、その他は膳所藩・水口藩・大溝藩といった小藩が入り混じった複雑な様相であったようです。
明治維新により幕府領・旗本領に大津県が設置され、その後廃藩置県により国内の各藩は各県に移行、1871年(明治4年)11月22日、新たに大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合されました。翌1872年(明治5年)1月19日には大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、最終的には9月28日に両県が合併し、現在と領域を同じくする新たな滋賀県が誕生しました。1876年(明治9年)8月21日から1881年(明治14年)2月7日までの約4年半の間には、一時、現在の福井県嶺南地方(敦賀市以西)を編入していたこともあり、その当時、滋賀県は若狭湾に面していたことになります。
詳しい滋賀県の歴史をのぞいてみたい方は次のLinkをClickしてください。👉滋賀県のあゆみが分かる歴史年表
ちなみに、滋賀県が誕生した1872年(明治5年)には、日本で鉄道が開通した年でもあります。日本では、鎖国中の江戸時代(1840年代頃)からイギリスの鉄道の存在は既に知られていました。1853年(嘉永6年)のペリー来航以降、各藩では独自に海外の科学技術を研究し、その導入に力を注いでいましたが、鉄道敷設もそのひとつでした。鉄道敷設が具体的になってきたのは、明治維新後で、当初は東京-京都-大阪-神戸(太平洋側の主要都市と重要貿易港)、米原-敦賀(日本海側の港湾都市)の路線を敷設する案があったようです。最終的には、まずは首都・東京と国際貿易港の横浜を結ぶ路線の敷設を行うことが1869年(明治2年)に決定されています。それから3年後の1872年(明治5年)10月14日、新橋駅-横浜駅(現:桜木町駅)間が正式に開業、当日は新橋駅で式典が催され、明治天皇と関係者を乗せたお召し列車が横浜との往復運転をしています。