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本校卒業生の水口創太さんがプロ野球福岡ソフトバンクホークスから育成7位指名を受けました

2022/10/20

  本校を2018年(平成30年)3月に卒業された水口創太さん(現:京都大学医学部人間健康科学科4回生)が10月20日(木)に開かれたNPBドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成7位の指名を受けました。本人はプロ志望の意向で、今後入団交渉が完了すれば、本校OBでは61年ぶりのプロ野球選手の誕生となります。

 水口さんは197㎝の長身から投げ下ろす角度のあるストレートが武器の本格派投手です。昨年の関西学生野球秋季リーグ戦で154㌔のスピードを記録し、一躍プロ野球界からの注目を集めました。高校時代の最高成績は平成28年度春季近畿地区高校野球滋賀県大会でのベスト8が最高成績で、惜しくも甲子園出場は果たせませんでしたが、大学入学後に食事も含めた地道なトレーニングを積み重ねることで今日の成果を収めるに至っています。

 関西学生野球リーグ戦では、昨年の春季リーグ戦での近畿大学との試合で初登板、関西学院大学との試合では初先発を飾りました。通算成績は21試合(43と1/3イニングス)に登板し、1勝3敗、被安打36、与四死球25、奪三振34、自責点17、防御率3.53の成績を残しています。

 

【水口創太さんの喜びのコメント】
(指名を受けて)待っている間不安もあったが、評価してもらえて嬉しい。プロを目標に4年間やってきたので嬉しい。理学療法士の勉強で学んだことも活かしたい。
(どんな選手になりたいか)角度のある真っすぐと落ちる系の変化球で三振をとれるような投手になりたい。スケールの大きな選手になりたい。長所を伸ばして、一軍で通用するような選手を目指したい。
(地元滋賀への思いは)地元の子どもたちの目標にしてもらえるような選手を目指したい。

【豆知識】本校野球部は、1898年(明治31年)に滋賀県第二尋常中学校として開校された当初から創部され、現在まで学校とともにその長い歴史を歩んできていますが、この間に4名のプロ野球選手を輩出しています。
 1人目は、1935年(昭和10年)3月卒業の岡野八郎さんです。岡野さんは、膳所高校の前身である旧制膳所中学校時代に、第11回全国選抜中等学校野球大会(現:選抜高等学校野球大会)に滋賀県勢として初出場を果したチームの主将として活躍されました。遊撃手としてチームの中心を担い、第20回全国中等学校野球京津大会(現:全国高等学校野球選手権地方予選)では、伝説の大投手として名高い、京都商業学校・沢村栄治さんと対戦。延長11回の死闘の末、0-1での惜敗を喫しています。卒業後は関西大学に進学、その後、日本職業野球連盟の名古屋野球倶楽部(通称:名古屋金鯱軍、現:NPB中日ドラゴンズ)に入団され、1938年(昭和13年)からの2年間で、通算108試合に出場し、打率.205の成績を残されています。
 2人目は、1953年(昭和28年)3月卒業の人見武雄さんです。人見さんは高校時代から強肩強打の遊撃手として注目を浴びていた選手で本校野球部が秋季滋賀県大会を初制覇した時の中心選手でした。卒業後日本大学に進学。入学早々の1年生の春季リーグ戦からレギュラーとなり、在学中東都大学野球リーグ5度の優勝に貢献しました。1955年(昭和30年)・1956年(昭和31年)には、全日本大学野球選手権大会で準優勝に輝いています。1957年(昭和32年)、プロ野球の阪急ブレーブス(現:NPBオリックス・バッファローズ)に入団。ここでも入団1年目から定位置を獲得し、1964年(昭和39年)までの7年間で通算582試合に出場し、打率.242、本塁打22本の成績を残されています。

 また、1956年(昭和31年)の第28回選抜高等学校野球大会に出場した際のメンバーからは石田博三さんと金村清さん(1958年(昭和33年)3月卒業)のお二人がプロ野球の道に進まれています。石田さんは長身から繰り出す威力のあるストレートが武器の本格派投手で、木製バットを使用していた当時では相手打者の打球がほとんど外野に飛んでこなかったという逸話も残っています。卒業後すぐに大阪タイガース(現:NPB阪神タイガース)に入団。入団後は、投手から外野手に転向し、その打力を活かしました。1958年(昭和33年)にはウエスタンリーグで打点王のタイトルを獲得、引退する1964年(昭和39年)までの7年間で、通算114試合に出場し、打率.204の成績を残されました。また、金村さんは高校時代に堅守の遊撃手として活躍。卒業後は同志社大学を経て、1962年(昭和37年)に南海ホークス(現:NPB福岡ソフトバンクホークス)に入団。通算3年間で24試合に出場し、軽快な守備で関西の野球ファンを唸らせました。

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滋賀県立膳所高等学校